2004年02月04日

赤い服の少女

「イラク派遣は戦争に行くのではない。」と言ってのけたわが国の首相。
では戦時下の真っ只中へ軍備をもっていどむことは、戦争でなければ何をしに行くというのだろう?
サファリランドで動物に餌をやるのとは訳が違うのだ。


かの大戦でドイツや中国はホロコーストを経験した。
一部の民族がその尊い命を同胞によって散らされた事実は、歴史的にはまだ最近のことである。
人類が成長するにはあまりにも時間が経っていない。
国家間の戦争という概念が薄れてきた現代だからこそ、同じことが地球規模で起こる危険性があるのではないだろうか。
人間という動物は同種で殺しあう特殊な生き物で、その狂気の種は今日にもしっかり息づいている。
ベトナムやアフガンでのアメリカがそれを著しく物語ってくれているではないか。
人間の敵はいつの時代も天変地異や疫病ではなく「人間」であるのだ。
殺戮なしでは今日の発展は無かったと言っても過言ではないはずだ。
もちろんこの限りなく平和な日本国においても、突然自分や隣人が「ユダヤの民」になり得る可能性が充分にあるのである。

歴史は人類の履歴書でもある。
胸を張って面接官に突きつけられる経歴が、そこには書いてあるとは思えない。
戦火や殺戮が対岸の火事ではなくなったとき、
我々は「オスカー・シンドラー」であることができるのだろうか。



他人のコメカミで引き金を引けるのは、なにも犯罪者だけではないのだ。
posted by とと at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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