2003年11月23日

[Apocalypse Now]

かなり久しぶりに映画「地獄の黙示録」(1979米)を見た。
この映画を初めて見たのは小学3年生頃だったか。確かお正月映画だった気がする。
よほど観たかったのか一緒に正月の買い物に来ていた家族を振り切るようにして、一人映画館へと入っていったのを覚えている。
それというのも最初は戦争アクション巨編だと思ってわくわくしていたからだっだ。
テレビの予告編がかなり魅力的だった。
しかし、実際観終わってからはどうしようもない脱力感と喪失感に襲われていた。
小学3年生には難解すぎた。

前半部分にヘリによるベトコン村空爆シーンがある。
ワーグナーの「ワルキューレの騎行」にのって殺戮が行われる有名なシーンだ。
アメリカ指揮官のただ「サーフィンがしたい」という理由で壊滅されるベトナムの村。
海の向こうから波と一緒に押し寄せてくる武装ヘリの編隊が、まさに「死の騎士団」というイメージを連想させる。
圧倒的な破壊の映像が連続して映し出される中、戦争の狂気が退廃的に醸し出されていた。
観客が近代兵器が繰り広げる殺戮の「爽快感」を疑似体験するというなんともおぞましいシーンだ。
この空爆シーンの凄いところは破壊の映像だけではなくて、このシーンが始まる直前の演出が際立っているところだ。
アメリカ指揮官が軍のキャンプ地で敵拠点の破壊を思いついた瞬間何かが動き出したような機械音が鳴り出す。
だんだんと大きくなるその音がヘリの起動音だと認識された時、カットは「死の騎士団」がまさに飛び立つシーンへとシンクロしていく。
恐るべきコッポラ監督の「緊張感の魔術」だと思えた。その後繰り広げられる地獄絵図の導入としては絶妙の演出だ。

派手な映像がひと段落つくと状況は静かに前衛的になっていく。
この映画が名作か駄作か賛否両論なのは、やはり後半部分の難解さが原因なのだろう。
といってもこの映画の中枢は後半部分にあるのだが。。。。。
恥ずかしながらおいらもこの映画の本質は未だ理解できていない。
今でこそ「戦争による狂気」を描いた作品は星の数ほどあるが、この映画ほど哲学的に切り込んだ作品はないであろう。
アメリカを裏切り敵に寝返った男を暗殺するため、主人公は死の旅を続ける。
旅の終わりに待っていたのは生と死が共存している精神世界。そして暗殺するべき男はまさに自分そのもとも思える存在。
主人公が狂気の旅を終わらせるためには「自分」を殺さなければならなかった。
殺戮を求めて闇の奥へ迷い混んでいく主人公は「アメリカ」そのものだったのかも知れない。

ベトナムで垣間見た「黙示録」を今世界は中東で観ている。
ドアーズはthis is the endと唄っている。
posted by とと at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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